2024/05/04

Taiwan Today

政治

花蓮で40年の医療奉仕、米医師が死去

2019/08/20
Roland P. Brown医師(中央)が17日に亡くなった。Roland P. Brown医師は1993年に「医療奉仕奨」を受賞。1995年には李登輝総統(当時。写真左)から「紫色大綬景星勲章」を授与されている。(門諾医院提供、中央社)

台湾東部・花蓮市の台湾基督教門諾会医院(=病院)の創設者で、同病院元院長の薄柔纜(Roland P. Brown)医師が17日、米国で病気のため亡くなった。93歳だった。

Roland P. Brown医師と17年に渡って共に診療に当たった経験を持つ同病院骨科(整形外科)の蔡慶豊主任医師は、Roland P. Brown医師の人柄について、「時間と規律を厳守し信頼できる人だった。彼ほど私心がなく、お金に頓着しない人は見たことがない」と強調した。蔡医師は、Roland P. Brown医師からは医学的なことを学んだだけでなく、我欲のない奉仕の精神も深く学び、これこそかけがえのない宝となっているとした。

蔡慶豊医師はさらに、Roland P. Brown医師の運転するジープで地域の巡回医療に出掛けたときのエピソードも語った。Roland P. Brown医師は、先住民族に対しても自分の家族と同じようにみていたという。また、緊急に輸血が必要になった時には、他の宣教師らと共に、献血するのは宣教師として当然のこととして、率先して献血を行っていた。このように私心のない愛を持った奉仕活動は、今でも年長者たちの心に深く刻まれている。

27歳から医師として台湾に滞在していたRoland P. Brown医師は、68歳の時、引退して米国に戻った。蔡慶豊医師によると、いつでも清廉潔白だったRoland P. Brown医師は当時、余分な貯金や持ち家もなく、教会や信者の支援があって、ようやく米国で住居を定めることができたという。

1991年には、「台美文教基金会(台湾・アメリカ文教基金会、Taiwanese-American Foundation)」の社会福祉サービス賞に選ばれた。米国での授賞式に出席したRoland P. Brown医師は、「台湾の医師は、花蓮に診療に行くのは遠いが、アメリカに行くのは近いと思っているようだ」とスピーチした。これは、台湾における僻地の深刻な医師不足に対する苦言だが、Roland P. Brown医師の名言として広く伝えられる言葉となった。

Roland P. Brown医師は、中国大陸河北省で生まれた。父親の薄清潔(Henry Jacob Brown)氏も医師で、キリスト教の教派、米国メノナイト(Mennonite、メノー派)の牧師だった。Henry Jacob Brown氏は結婚後、妻と共に中国大陸へ渡り、医療奉仕を行った。Roland P. Brown医師は5番目の末っ子で、成人後、米シカゴ大学医学部で学んだ。大学卒業後、一般外科のレジデントを経て、1953年に花蓮にやって来た。

台湾に来た当時のRoland P. Brown医師は、台湾初の「山地巡回診療医師団」に加わった。この医師団は山を登って時には河を渡って、僻地へ赴き診療に当たった。1954年以降、花蓮の市民からのニーズに応えるため、また一般市民への医療活動も行うため、台湾基督教門諾会醫院が創立された。こうして40年以上に渡って花蓮で医師として過ごしたRoland P. Brown医師は、その人生の成熟期を東台湾における医療奉仕に捧げた。

台湾基督教門諾会醫院の広報部門の職員は、台湾はRoland P. Brown医師の出生地ではないが、深い結びつきを感じて迷うことなく奉仕する場所として選んだ。訃報を聞いた職員は皆、感謝と遺憾の気持ちを表しているという。

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