2024/05/06

Taiwan Today

政治

検閲時代をくぐり抜けた「国宝級」漫画家、許貿淞氏が死去

2019/12/09
2017年に文化部主催の漫画賞である「金漫奨」特別貢献賞を受け、台湾で「国宝級」とされた漫画家の許貿淞さん(写真)が7日に82歳で死去。60年近く漫画に打ち込んだ生涯を閉じた。(聯合報より)
2017年に文化部(日本の省レベルに相当)主催の台湾の漫画賞である「金漫奨」特別貢献賞を受け、台湾で「国宝級」とされた漫画家の許貿淞さんが7日夜に亡くなった。82歳だった。漫画に打ち込んで60年近く、代表作には『佛祖伝』(釈迦伝)が挙げられる。
 
本名は「許松山」の許貿淞さんは1937年7月10日に現在の高雄市(台湾南部)橋頭区で生まれた。20歳を過ぎてから漫画を描き始め、創作のキャリアは約60年に及んだ。まさに生涯を漫画に捧げたのである。2017年にイギリスの公共放送局BBCの取材を受けた際には、台湾でかつて政府によって行われた漫画に対する審査(検閲)と弾圧に言及している。
 
1960年代、台湾で武侠漫画(武術に長ける義侠を主人公にした漫画)が流行っていた時、許貿淞さんの描く漫画は台湾南部を席巻。もう1人の漫画家、游龍輝さんと人気を二分し、「南許北游」(南部に許貿淞あれば北部に游龍輝あり)と称された。游龍輝さんは、台湾における武侠漫画の始祖で「少林長老」と敬われた陳海虹さんの主要な弟子。
 
1970年代初期、許貿淞さんは「松山画室」を設立して弟子の育成に乗り出し、優れた門下生を数多く生み出した。当時漫画は大人気で、許貿淞さんの仕事部屋は毎日とても忙しかったという。許貿淞さんは過去に受けたインタビューの中で、「テレビの無かった時代、漫画家は本当に輝いていた」と述べている。
 
その後、台湾における漫画産業に打撃を与えたのはテレビの普及による影響だけではない。政府による検閲という干渉が衰退を加速したのである。それでも許貿淞さんは歯を食いしばって逆境を耐え抜き、『台湾神祇列伝』と『中西童話故事』に着手。さらに友人が勧める中、生計を立てるために朱砂(硫化水銀の鉱物からなる塗料)を使って主に神仏を描く絵も学んだ。そして審査制度の時代は終わり、自由に創作できる時代が到来したのである。
 
許貿淞さんの代表作である『佛祖伝』は創作に10年以上かけた力作。美しい水彩と繊細な画法で釈迦の降誕から成長、伝道、入滅までの全てを再現している。
 
 

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