2024/05/02

Taiwan Today

政治

参謀総長と行政院長など歴任した郝柏村氏が死去、一時代に終わり告げる

2020/03/31
参謀総長や行政院長など数々の要職を歴任した郝柏村氏(左)が30日午後、高齢による多臓器不全で死去。享年100歳。「八二三砲戦」で中共から台湾を守り、軍の現代化も推し進めた。写真は2006年。台北市長に当選した息子の郝龍斌氏(右)から花束を受け取る郝柏村氏。(自由時報より)
中華民国の行政院長(首相)など数々の要職を歴任した郝柏村氏が30日午後2時47分、三軍総医院(=病院)において死去した。100歳だった。死因は高齢であることによる多臓器不全。
 
総統府は同氏の死去を哀悼、郝柏村氏が一生涯、軍と公の職務に努力し、職業軍人ならびに公職人員として国のために苦労してきたことに対して深く感謝するとの声明を出した。この声明では特に、郝柏村氏が「八二三砲戦」において国を守る上で功績を残したと指摘している。「八二三砲戦」とは、1958年8月に離島の金門県と中国大陸側との間で始まった砲撃戦のこと。
 
蘇貞昌行政院長はKolas Yotaka報道官を通じて、「郝柏村氏が国のために果たした貢献に非常に感謝する。死去は大変残念だ」とするコメントを発表した。また、元総統李登輝事務所の王燕軍主任は郝柏村氏について、歴史的な名将であり、長い軍人生活では「八二三砲戦」に参戦する一方、政治家としても国民のため長く奉仕したと評価、まさに幸せと長寿のいずれも全うしたことになると述べた。
 
郝柏村氏は1919年に中国大陸江蘇省鹽城で生まれた。中華民国陸軍軍官学校12期砲兵科を卒業、「八二三砲戦」では最前線で砲兵指揮官を担当し、その後は制服組トップの参謀総長、国防部長(日本の防衛大臣に相当)、行政院長などを歴任。参謀総長の経歴を持つ人物が行政院長を務めたのは陳誠氏に続いて2人目。また、郝柏村氏は参謀総長を8年間務めており、これは中華民国の参謀総長の任期として最長。
 
1958年の「八二三砲戦」勃発時、郝柏村氏は第9師団の師団長を務めていた。当時第9師団は離島・金門県でも「前線中の前線」とされる烈嶼郷(小金門島など)に駐屯、砲撃戦の中で直接、中共人民解放軍の砲撃にさらされる部隊だった。金門を守り抜いた郝柏村氏は功績を称える「栄誉虎旗」(中央に虎が描かれた栄誉旗)を受け、第9師団は「大膽部隊」との別名で呼ばれるようになった。同時に、砲撃戦勃発2週間前に師団長となった郝柏村氏も頭角を現すこととなった。
 
郝柏村氏は過去に「八二三砲戦」の勝因を語っている。それによると、勝因は空軍の空対空ミサイル(サイドワインダー)が威力を発揮し、31対1(敵機31機を撃墜、自軍の損失は1機)の大勝利を収めたことのほか、中共人民解放軍海軍の高速魚雷艇による金門包囲を失敗させたことだという。また、それまで砲撃に対する金門の反撃拠点で防護に使用していたのは土嚢。しかし敵は見晴らしの良い位置に陣取っていたほか金門は小さく、砲兵部隊が中共のミサイルを防ぎ切ることは困難で撃破されないようにするための策が必要だった。このため3期にわたって砲兵部隊の指揮官を務めた郝柏村氏は約3年間かけて大金門島と小金門島にあった80カ所の砲兵陣地全てに鉄筋コンクリート製の防御施設を整備、砲撃による損失を抑えると共に兵士たちの生存率を高めたのである。こうした功績により、「八二三砲戦」が終わると郝柏村氏は「雲麾勲章」と「栄誉虎旗」を受けることとなった。
 
中華民国(台湾)で行われる「漢光演習」の主な仮想敵は中共人民解放軍。1984年に初めて実施されて以降、規模と形式上で若干の変動があるとは言え、すでに中華民国軍の軍事演習のうち最も高レベル、重要かつ複雑で規模的にも最大の1年1度の大型演習となっている。この計画者も郝柏村氏である。
 
郝柏村氏は「八二三砲戦」のほか、抗日戦争(日本での呼び方は「日中戦争」)、中国遠征軍、第二次国共内戦などで実戦経験を持つ数少ない将校だった。参謀総長を務めていたときには兵力の構造改革に取り組んだ。戦闘機の「経国号(IDF)」、地対空ミサイルの「天弓」と空対空ミサイルの「天剣」、並びに対艦ミサイルの「雄風」を開発、さらには海軍に新型の戦艦をそろえるなど国防科学技術の発展に力を尽くし、中華民国軍の現代化を推し進めた。国防部(日本の防衛省に相当)ではこうした郝柏村氏の貢献は永久不滅だと称えている。
 
中共当局は最近、抗日戦争における共産党の貢献を誇張して伝えているほか、同戦争が共産党によってリードされたと主張している。郝柏村氏はこれを気にかけ、公の場で何度も反論した。郝柏村氏は、8年間にわたる抗日戦争での指導者は当時国民党の委員長だった蒋中正(蒋介石)氏以外におらず、中共当局が主張する抗日戦争の歴史は不正確だと批判。中国大陸が抗日戦争を公式に宣伝する上で、国民党と共産党を並べて論じ、いずれもが抗日戦争を戦い抜く柱だったと主張しているのは公正な言い方ではないと訴えた。
 
郝柏村氏の伝説的な一生は言わば近代史の縮図。100歳での死去は1つの時代の終焉をも象徴している。
 
 

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