2024/05/03

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経済

台湾の作家・陳映真さんが北京で死去

2016/11/23
台湾報道文学の先駆者として知られる作家、陳映真さん(写真)が22日北京で亡くなった。享年80歳。 (中央社)

社会的な問題を追究する台湾の雑誌「人間」の創設者でもあり、社会の底辺や現実を報道し、台湾報道文学の先駆者として知られる作家、陳映真さんが22日北京で亡くなった。享年80歳。

本名は陳永善、1937年11月8日、台湾北部・新竹で生まれた。22日に北京で病死、享年80歳だった。

2006年6月に北京に移住後、同年9月に脳梗塞を発症、以後10年もの長期にわたり病に臥せっていた。

1959年に文学同人誌「筆匯」に、処女作の小説「麺攤(麺屋台)」を発表して、注目を浴びる。そして、次に発表した「我的弟弟康雄(私の弟康雄)」が代表作となる。彼の友人は陳さんについて、理想を追い求めるロマン主義者と評している。

1968年に、「マルクス・レーニン主義文献や魯迅などの社会主義文献の読書会を組織、共産主義を宣伝した」という罪名で、陳さんとその友人は逮捕され、10年の有罪判決を言い渡され、台湾南東部・台東県の泰源監獄、離島・緑島の監獄、緑洲山荘に拘禁された。

その後、蒋介石元総統の死後100日の特赦によって、刑期より3年早く釈放された。釈放後も作家活動を続けたが、作風を現実主義に転換する。1979年10月には、当時の警備総司令部軍法処に反乱を疑われ、逃亡を防ぐことを理由に調査局に拘束されたが、施明徳氏、陳鼓応氏、白先勇氏、鄭愁予氏らの抗議署名によって拘束36時間後に釈放された。

1980年代は、「文季」、「夏潮」などの雑誌の編集に携わる。1985年11月には、社会的に弱い立場にある人たちを取り上げたルポルタージュ誌「人間」を刊行したが、財政的な困難から1989年に廃刊した。

「中国の統一」を主張する陳映真さんは1988年に胡秋原氏らと「中国統一連盟」を創設、陳氏が初代主席に就任する。台湾文学における、重要な作家だった陳映真さんは、政治的色彩が濃厚だったため、現代、最も多く議論される作家の一人にもなった。

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