2024/05/08

Taiwan Today

経済

自由中国号、57年ぶりに修復されてお目見え

2012/07/12
2カ月間の修復を経て、姿を現した木造帆船「自由中国号」。(中央社)

7月11日の「航海節(1405年の同日に明の武将・鄭和が第一次航海に出発した日)」を記念し、台湾の木造帆船として初めて太平洋を渡った「自由中国号」が基隆港に登場した。同船は1955年、台湾海峡が封鎖されるという冷戦期の状況のもと、基隆港から米西海岸まで太平洋を横断した。

「自由中国号」と名付けられた、エンジンなどの動力を持たないこの木造帆船には、1955年4月4日、「世界をみてみよう」という情熱を抱き、帆船を操縦したことのない若い乗組員6人が乗り込み、次々と封鎖を突破しながら100数日の海の上での奮闘を経て、日本の那覇、横浜を通過し、同年8月8日に米サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジをくぐり、米西海岸に到着した。

当時は朝鮮戦争が終結した直後で、すぐに一江山島(中国大陸の浙江省)の戦役(第一次台湾海峡危機)がぼっ発、台湾海峡で戦火が連日続いていた中にあって、若者らは世界をみてみたいというだけで出発した。乗り組んだのは周伝鈞さん、胡露奇さん、种玉麟さん、徐家政さん、陳家琳さん、および当時、米国の駐中華民国副領事だったカルバン・メーラートさんの6人。すべて風力で航行する小さな木造帆船は途中、台風に遭い損傷。修復したものの、6月11日の帆船レースに参加することはできなかった。その後114日間をかけて遠洋航海を続け、目的地のサンフランシスコにたどり着いた。

この木造帆船は、冷戦期に台湾海峡封鎖を経験したほか、清朝末期の中国大陸福建省の福州港で近代海軍の台頭や、20世紀の中日戦争、国共内戦を目撃したと考えられる。ただ、米西海岸に到着した後は長年にわたって放置されていた。今回、当時の乗組員の家族や、台米の各方面および文化部文化資産局の尽力によって、今年5月、57年ぶりに基隆港に帰還した。

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