今年60歳の柯彼得(Peter Kenrick)医師は1985年に台湾南東部・台東県にある聖母医院(病院)を支援するために来台して以降、知らず知らずのうちに32年が経った。柯彼得医師は7日、メディアの取材に対して「自分はもう台湾人だ。死ぬ時も台東にいたい」と話した。
柯彼得医師は32年前にオーストラリアから台湾にやってきた。当時、台東県の聖母病院は救命救急医を必要としており、柯彼得医師は台東にかけつけて支援した。2カ月経つと、柯彼得医師は聖母病院に残ることを決意。柯彼得医師は、「最初から台東だったことが幸運だった。台北だったら帰っていたかもしれない」と話す。
柯彼得医師は聖母病院で17年間、自転車で台東県をくまなく回って往診を行った。また、毎年2カ月間は他国で国際的な医師として現地の患者をケアしていることで、第11回医療貢献賞を受賞している。
2002年、柯彼得医師は台東県の基督教医院(キリスト教病院)に移って引き続き救命医として勤務。2009年5月、台湾ではH1N1型インフルエンザが広がった。柯彼得医師は海外での医療ボランティア活動を終えて台湾の空港に戻るとすぐに病院の同僚に電話で、「台湾で最初のH1N1型インフルエンザの患者が見つかった」と伝えた。同僚たちが、台東県で見つかったのではないとほっとしていると、柯彼得医師は「その患者は自分だ」と告げたという。
また2009年8月、台風8号(モーラコット)の上陸により、在来線・台湾鉄道の南回り線や道路が寸断されて沿線沿路の集落が孤立した際、柯彼得医師はキリスト教病院の医療チームを率い、ヘリコプターで被災地に入ってボランティア治療にあたった。通信設備が機能しなかったため、一時は医療チームと連絡が取れなくなったという。
柯彼得医師は今年5月、国民身分証の申請が可能なことを知って大変喜び、直ちに申請手続きを行った。柯彼得医師は、「台湾の公民になりたい。台湾に属していたいから。完全な形で台湾の社会に加わりたい。投票権や財産権、法律による保障を全て得たいんだ」と話している。
柯彼得医師は、台湾にやってきた当時は毎年居留証を更新せねばならず、更新手続きではいつも「今回は認められないのでは」と心配していたと明かす。2004年に永久居留証を得たが、それでも「台湾に属していたい」として、「台湾の公民」になることにこだわった。柯彼得医師の同僚の一人、台東キリスト教病院救急救命室の呉佳珉看護長は、「私たちにとって柯彼得医師はずっと台湾人だ」と話している。
台東県の黄健庭県長(県知事)は7日午後、台東県庁舎の大講堂で、柯彼得医師に国民身分証を手渡した。