2024/05/04

Taiwan Today

文化・社会

台湾は「呼吸の出来る場所」シリーズ(4)香港から見た台湾

2017/12/08
写真左は香港で「銅鑼湾書店」を経営していた元店長の林栄基さん。「台湾や香港にとって、中国大陸研究はより重要だ。台湾はこの問題を重視しないわけにはいかない。なぜなら台湾の向かう方向こそが、香港がたどる道だからだ」と語る。右は中国大陸の詩人で人権活動家の孟浪さん。2015年に台湾に移り住んだ。(中央社)
香港で「銅鑼湾書店」を経営していた元店長の林栄基さんは、かつてこう語ったことがある。「台湾や香港にとって、中国大陸研究はより重要だ。台湾はこの問題を重視しないわけにはいかない。なぜなら台湾の向かう方向こそが、香港がたどる道だからだ」。
 
「銅鑼湾書店」の店長だった林栄基さんは2015年、中国共産党政権を批判する書籍を出版・販売したなどとして、中国大陸当局に8カ月近く身柄を拘束された。その林栄基さんは今年8月のある暑い週末の夜、台湾北部・台北市の西門町と呼ばれる繁華街にいた。2018年に台湾で書店を開くための場所探しにやってきたという。
 
中国大陸当局に『禁書』とされる書籍を取り扱って逮捕されながら、なぜまだ書店の経営に取り組もうとするのか。しかも、なぜ台湾なのか。「読者に対し、しっかりした、開放的な思想を持ってもらいたいから」―林栄基さんはそう語る。
 
かつては中国大陸から多くの人々が「銅鑼湾書店」にやって来て書籍を買い求めていた。しかし、現在はそれも不可能となった。一方。政府がメディアによって監督されている台湾は、自由に言論を発表できる環境が整っている。ほかにもさまざまな要素を考慮した結果、林栄基さんは台湾で書店を開くことに決めた。
 
「台湾であれ香港であれ、どのような政治体制、どのような民主体制、どのような自由な社会が必要なのか、それはすべて若い世代にかかっている。若い世代の人々に、しっかりとした論述能力と根幹となる思想を持ってもらう必要がある」、「自分には、学校を開設する能力はない。しかし、書店を開くことならできる」。
 
林栄基さんが台湾で書店を開くのには、台湾を訪れる中国大陸の観光客に書籍を売るという狙いもある。台湾に開設した書店を通して、中国大陸の住民により多くの、ほかとは違う情報を与えたい。「1冊の本さえあれば、彼らは自分で考えることができる」からだ。
 
中国大陸当局からの圧力を受けた場合、台湾に政治的保護を求める可能性はあるかと尋ねると、林栄基さんはすぐにその可能性を否定してこう言った。「台湾の民主体制と自由な社会は、多くの人々の流血によって得られたものだ。自分がその上に悠然とあぐらをかくわけにはいかない」。
 
「台湾は、現在のところ自分にもっとも適した場所だ」―こう語るのは、中国大陸の上海からやってきた人権活動家の孟浪さんだ。現代詩の詩人でもある孟浪さんは、過去に米国や香港に住み、現在は台湾に居を構える。これは、「両岸三地(中国大陸、香港、台湾)」での生活の経験を通して得た結論だ。
 
中国大陸で生まれ育った孟浪さんは1980年代初期、大学卒業を待たずして創作活動を始めた。「地下文学」とされた活動に参加し、多くの詩集を出し、中国大陸の詩壇で頭角を現した。1995年、米ブラウン大学(ロードアイランド州)の「ライター・イン・レジデンス」プログラムを利用し、アメリカへ渡った。これが長い海外生活の始まりとなった。
 
また2001年には「中国独立作家筆会」(現在の名称は独立中文筆会)を立ち上げた。これは、自由を求める海外在住中国大陸出身者をつなげる重要な組織の一つとなった。これがきっかけとなり、孟浪さん自身も人権活動にのめり込むようになった。
 
1990年代、中国大陸の詩壇で名が知られるようになり、現代詩の詩集をいくつか出版した孟浪さんは、基本的人権、社会正義、思想の自由などの実現に対しても、並々ならぬ情熱を注いできた。中国大陸の人権活動家で、獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波さん(1955-2017年)を長く支援したり、香港で反政府デモ「セントラル占領活動」(2014年)が発生したときは、現場に応援に駆け付けたりした。
 
2015年夏、当時54歳だった孟浪さんは、台湾出身の妻と共に、香港から台湾へ移り住んだ。孟浪さんが選んだのは空気が澄み、美しい風景が広がる理想郷、台湾東部・花蓮県だった。現在も孟浪さんはそこに住んでいる。
 
香港にいたときは、出版社や書店を立ち上げ、「銅鑼湾書店」の店長だった林栄基さん、その株主だった桂民海さんなどとも親交を深めた。孟浪さんが台湾を初めて訪れたのは1999年のことだった。そして、2015年に台湾へ移住し、2年余りが経った。
 
「台湾の文学、そして人文社会の基礎は、全体的に見て香港よりもしっかりしている」。文学、出版、舞台などの分野から台湾との接触が始まった孟浪さんにとって、これが台湾への第一印象だった。
 
2002年の結婚を機に、アートイベント、シンポジウム、講演会、図書出版などに参加するため、台湾に来る回数が増え、台湾の芸術・文学分野だけでなく、一般の人々とも接触する機会が多くなった。2005年、台湾住民の「配偶者」という身分で居留ビザを申請。10年後の2015年、正式に台湾へ移り住んだ。
 
台湾の住民は「非常に善良で、相対的に純朴だ」と話す孟浪さん。しかも、中国大陸や香港ではほとんど失われてしまった「士紳社会(士紳とはかつての中国大陸の君主制において、科挙の試験で肩書を得た、社会的・文化的地位を有する人を指す)」が息づいている。
 
「(中国大陸から台湾へ)来たいと思っている人はたくさんいる。ただ、口にしないだけだ」と、中国大陸の人権活動家の名前を具体的に思い浮かべながら話す孟浪さん。最後に、「中国大陸の住民に対する台湾の移民政策が、もう少しでも緩和されればいいのだが」と期待を口にした。
 

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